97年3月12日 雨

南澳−花蓮

 宿を出たのは8時半頃でした。4車線の道を進みます。しばらくすると2車線になり。山道が始まりました。さんざん登り、トンネルを抜けると海が広がる断崖絶壁の道が始まりました。景色はいいのに天気は雨、しかし、エメラルドグリーンの海が広がっています。のんびりとすすみました。
洞門の出口あたりで休憩していると、向こうから荷物をいっぱい積んだ自転車がやってきました。「にいはお」と相手はあいさつをしてきましたが、日本製の自転車の鞄を持っていたようなので、こちらから「こんにちはぁ」。「日本人の方ですか」「はい」やっぱりいたなぁ自転車旅行の日本人と思いながら話を進める。私とは反対まわりにまわっているようで、11日目だそうだ。私が3日目だからたすと14日。お互いにビザなしの最長14泊15日で旅行予定のようだ。その方が私の自転車に張ってあるUECと書いた大学のシールを見て「電通大の方ですか」「はい、よくしっておられますね」「私もです」「ええっ」なんと、同じ大学同じ学科で、同じ授業も受けたことがあるらしい。世界は非常に狭いものらしい...また学校の食堂ではなしでもしましょうといいわかれる。
 その後の道は、トンネルや洞門がつづいたが、道はずっと2車線以上でよく整備されて走りやすかったです。この断崖上の道、世界一の臨海道路かもしれない。天気が良ければもっとよかったのだろうな。ほとんどのトンネルは日本のトンネルより明るい電灯がついていました。しかし、たまに、電灯なしのトンネルがあって恐かったです。
 たろこのまちに着く。自助餐で食事していると、おばさんが話しかけてきたが、言葉不明。そこで、選挙活動している人がやってきた。その方は日本語をはなせるようでした。昔中学校の先生をしていたが、いまは、議員をしているとのこと。名刺をいただく。原住民で高山族といっていた。名刺には原住民協会会長(旧字体)と書いて有りました。「もし、困ったことがあったら電話してください」とのこと。議員さんは心強そうだ。
 食べたあと、タロコ渓谷をあがることにする。ここは台湾の主要観光地の一つ。川の流れが、大理石を浸食して作った渓谷だ。渓谷の狭いところは10m位しかなく。垂直に切り立った壁が雲の上まで続いている。そんなところにトンネルがほられ、道は続いている。素堀のトンネルも多くある。よくこんなところに道を造ったと思う。天気は小雨、日本だったら雨が続き通行止めにしているだろう。立派な観光バスもよく通る。バスは日本より大きく立派だが、運転手はポロシャツを着て運転している。ただ、前に「台湾全島5日間」などとかかれた日本人の乗ったパスの運転手は背広を着ていました(笑)。約15キロ、標高は600mくらいまであがりました。旧道は歩道になっているところもあり、歩いている日本人も多く見かけました。しかし、日本人のツアーバスの多いこと...天祥でトイレの横で地球の歩き方をみていると、「わぁ 自転車ですか がんばってください」とツアーで来られた方にいわれました。たぶん、あきれていたんだろうなぁ。郵便局もありました。日本宛の切手10元+絵はがき2元。観光地の郵便局にはがきが売っているようだ。「もうすぐしめるよ」4時5分前だ。日本と違い、郵便局員の愛想は良くない。食堂は少し高めのよう。まぁ観光地しかたないかな。
 そして、坂を下り、タロコの街に戻る。再び自助餐で食事。そして、花蓮の街へむかう。
 暗くなったが、道は4車線。中央分離帯には水銀灯が並ぶ。また、2m位の路側帯もある。ライトを取り出すのが面倒なので、無灯火で進む。台湾の自転車には電灯など全くついてないようだ。
 花蓮の街に到着。ガイドブックをみる。宿は大新大旅社に決定。600元。今までの宿で一番いい感じだ。ガイドブックに書いて有る宿はそこそこ信用できるだろう。荷物をおき街に繰り出す。
 どこで食べようかと思ったが、マクドナルドへ、バリューセット(超値全餐)は、60元から120元のようだ。チキンかつバーガー?にコーラ、ポテトのセットを頼み「いいと ひあ」さすがにおいしい。しかし、ファーストフードやコンビニの値段は日本より若干安いかなといったところでした。食堂や弁当屋が日本の半額以下?なので、これらの値段は非常に高そうです。しかし、繁盛しているようでした。
 屋台街にも行きましたが、注文の仕方がわからない!(笑)
 ゲームセンターでは、セガやタイトーやナムコのゲームがあり、格闘ものがおおはやりのようです。1回10元。
 夜11時になっても店は開いていて、中高生が遊んでいました。でも、朝は、日本と同じ時間に始まります。台湾の人は日本より睡眠時間が短そうです。
 ということで、寝たのは12時頃になってしまいました。だんだん遅くなる...
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